ここでの主人公は前田利家です
前田利家は、豊臣秀吉とともに織田信長に仕え、後に加賀百万石の大大名となります
彼にはいろんなエピソードがあってとってもおもしろい人物であります(まつと結婚した話とか「かぶき者」の話とか)
ここでは、慶長三年に秀吉が亡くなって、その後家康が勢力を拡げる時期に前田利家がどのような行動をとったのかに注目していきますね
秀吉が亡くなってから、家康は五大老でありながら自分勝手なことを振舞うようになります
一方、利家は五大老の中心的存在で、かつ秀吉から豊臣家後継者である秀頼の後見人を頼まれているほど、その存在感は強烈なものです
利家は自分が生きている間に、目障りな家康をどうにかしたいと考えていました
しかし、年のせいもあって秀吉没後まもなく病に臥せるようになります
いよいよ体も本格的に悪くなってきた頃、家康は利家のお見舞いに大阪城に赴きました
それを知った利家は
「これほど良い機会はない」
と思い、自分の敷き布団の下に刀を忍ばせました
利家は息子の利長に「心得ておろうな」とだけ言い、息子利長も「もちろんでございます」と答えるのです
しかし、家康は難なくお見舞いを済ませ、無事に大阪城を出ました
もちろん利家は息子に激怒
利長は父利家の考えをしっかりと汲み取ることが出来なかったのです
利家は「お前(利長)に器量があれば、家康を生かして帰さなかったものを」と嘆き悲しみ、その後利家は62歳でこの世を去ることになりました
もし、利家がきちんと自分の意思を息子に伝えていたら・・
暗殺は成功し、江戸幕府は開かれなかったでしょう
・・前田利家という豊臣家にとって大きな後ろ盾が無くなったことは、豊臣家にとって相当な致命傷でした
時代のなかで、事件が起こり、歴史が動くきっかけの一つは、
前田利家のような偉大な人物が亡くなるからかもしれないですね
