弥生時代の遺跡の中でも1,2位を争うくらい、有名ではないでしょうか
小さい頃は何回か吉野ヶ里遺跡を訪れました
あの頃は、真剣に「ここが邪馬台国だったんだー」なんて思っていたわけです
そりゃ地元の思いからすれば、当然ですがね
大学生になってから、ようやく吉野ヶ里遺跡に行くことができました
仲間も誘って行こうーなんて思ってたんだけど、でも誰も付いていてくれないだろうと思い、早朝から1人寂しく出発することに
・・行って改めて思った
吉野ヶ里遺跡は完全に観光化させている・・
だって吉野ヶ里公園を作ったり、吉野ヶ里駅なんかあったり、ついこの間には町も「吉野ヶ里町」に改名されちゃってますから
しまいには、吉野ヶ里公園のマスコット人形の名前なんか「ひみか」ですからね
・・もしや、あの卑弥呼を元にしてるの?なんて大それたことを。笑
今でも学会では卑弥呼がいたとされる邪馬台国がどこにあるのか論争になっています
主に、九州説と近畿説
どちらも言い分があり、決め手を欠いてるって感じですね
今に残る地方の名前や、遺跡の数、またそこから発掘される出土品など、様々な角度から邪馬台国の検証が行われています
ボクの個人的な考えだとやっぱり吉野ヶ里遺跡は邪馬台国ではないでしょう
明らかに注目される出土品の時代が邪馬台国の時代と異なりますもん
あと『魏志倭人伝』に記述されている銅鏡があまり発掘されていないってのが致命的です
何でも昔の話では銅鏡が田んぼの中から発掘されていたということを聞いたことはあります
でも実際にその銅鏡がありませんからね、残念↓↓
じゃあ、お前は邪馬台国は近畿説をとるのかと言われると・・そうでもありません
漠然とした思いなんですけど、イメージとしては邪馬台国は九州と近畿の両方ではなかったと考えています
詳しく言えば、邪馬台国は九州から近畿地方に移ったのではないかと・・
確実に国として機能したのは近畿に移ってからで、その前身となったのが九州地方の時であったのだと
一応、論拠として倭国大乱の時期と、祭りの祭器の性質などがあるんですけどね
これはある教授方の説でもあります
もうこれ以上詳しくは書きません笑
でもボクが思うに、邪馬台国の魅力って、はっきり分からないことにあるんじゃないですかね
分からないから、少ない資料をもとに、想像力をかりたてて多くの説を生み出していく
邪馬台国が今まだ幻の存在だから、そこに追究するロマンがあるんだと思います(・・なんか語ってしまった。照)
それに冒頭であんな風に書いちゃったけど、ボクは吉野ヶ里遺跡が好きです♪
やっぱ地元愛が湧いてきますからね
また次回も吉野ヶ里遺跡に行くつもりです
