☆☆テクノラティプロフィール☆☆

前田利家の不覚、家康暗殺の失敗!!


ここでの主人公は前田利家です

前田利家は、豊臣秀吉とともに織田信長に仕え、後に加賀百万石の大大名となります

彼にはいろんなエピソードがあってとってもおもしろい人物であります(まつと結婚した話とか「かぶき者」の話とか)

ここでは、慶長三年に秀吉が亡くなって、その後家康が勢力を拡げる時期に前田利家がどのような行動をとったのかに注目していきますね

秀吉が亡くなってから、家康は五大老でありながら自分勝手なことを振舞うようになります

一方、利家は五大老の中心的存在で、かつ秀吉から豊臣家後継者である秀頼の後見人を頼まれているほど、その存在感は強烈なものです

利家は自分が生きている間に、目障りな家康をどうにかしたいと考えていました

しかし、年のせいもあって秀吉没後まもなく病に臥せるようになります

いよいよ体も本格的に悪くなってきた頃、家康は利家のお見舞いに大阪城に赴きました

それを知った利家は

「これほど良い機会はない」

と思い、自分の敷き布団の下に刀を忍ばせました

利家は息子の利長に「心得ておろうな」とだけ言い、息子利長も「もちろんでございます」と答えるのです

しかし、家康は難なくお見舞いを済ませ、無事に大阪城を出ました

もちろん利家は息子に激怒

利長は父利家の考えをしっかりと汲み取ることが出来なかったのです

利家は「お前(利長)に器量があれば、家康を生かして帰さなかったものを」と嘆き悲しみ、その後利家は62歳でこの世を去ることになりました


もし、利家がきちんと自分の意思を息子に伝えていたら・・

暗殺は成功し、江戸幕府は開かれなかったでしょう
・・前田利家という豊臣家にとって大きな後ろ盾が無くなったことは、豊臣家にとって相当な致命傷でした

時代のなかで、事件が起こり、歴史が動くきっかけの一つは、

前田利家のような偉大な人物が亡くなるからかもしれないですね

伊達政宗、彼はホントに独眼竜!?


奥州を平定し、徳川家康や豊臣秀吉たちに恐れられた「奥州王」、またの名を「独眼竜政宗」

彼は小さい頃に天然痘にかかり、右目を失明してしまいます

通説によると、幼少時代に政宗を勇猛な戦国大名に育て上げた名守役(←簡単に言えば教育係と思っていただければ幸いです)片倉小十郎が小刀で政宗の右目をえぐり出したらしいです

えぐりだすとか・・かなりエグイね。笑

そんで1974年に政宗の遺骨を再発掘する機会があって、政宗の頭蓋骨を科学的に検証した結果、右目には傷などの異常も何も発見できなかったんです

もちろん外傷がないだけで、視力そのものが失われたということで「隻眼」となったかも知れませんがね・・でも少なくとも小刀でえぐりだすという行為はなかったらしいです(そりゃそうでしょ。笑)

でもこうやって隻眼とか少し傷があるほうが、武者って荒々しくて強いイメージがあるのはボクだけですかね


いい意味で、伊達政宗は「傷」を保持していたのではないかな

もう「隻眼(片目)」ですら男のファッションとして取り込むほどにさ

いやね、伊達政宗はかなりのファッションに気を遣ってたんですよ

よく「伊達者」って言うじゃないですか

あれは政宗からきているんです

秀吉の朝鮮出兵の令を受けて、政宗は兵たちに豪華な装飾を施した鎧や刀を与えて、京都や名護屋(←今の佐賀県唐津市)に向けて出発させました

これには、奥州伊達家の権威と戦力を見せつけるという巧妙な正宗の意図があったんです

政宗の狙いは見事的中exclamation

それを見た人々は、「さすが奥州王、伊達政宗。」と驚嘆し、政宗の存在感や怖さを存分に理解するのです

それ以後、派手で奇抜な格好をする人を「伊達者」と呼ばれるようになりました

伊達政宗・・ボクも男だし、少しは「キズ??」を持って、彼みたいにバシッときめてみたいものですexclamation

北条早雲から学ぶ長生きの秘訣


戦国時代の中でも、まさに「下剋上」という言葉が似合う、戦国大名といえば北条早雲ですね。

彼が生きる時代とは、1467年(人の世むなし)応仁の乱から起こる戦乱の時代です。

早雲の宿敵のライバルは山内上杉、扇谷の上杉という二つの上杉家。

有名な話に、早雲の初夢というのがあります。

あるところに、大きな2本の杉が立っていた
そこに一匹のねずみが現れ、2本の杉の根っこをかじった
あっという間に2本の杉は倒れた
するとねずみは大きくなって虎となった

・・という夢です。この夢を見た早雲は、ねずみはねずみ年である自分であり、2本の杉はあのにっくき両上杉家であると判断したわけです。


これで早雲の中で「打倒両上杉氏!」という思いが高まったんですね(まぁホントかどうかはあやしいけど・笑)


そんでさらにつっこませていただきますと(笑)、早雲が生きているときに上杉家を倒すことは達成できませんでした。残念。でも早雲の思いは息子氏綱、孫の氏康にまでしっかりと受け継がれるのです。

そんで今回、ボクが注目したいのは北条早雲の年齢。なんと彼は、平均寿命が30〜50才という時代の中で、
87歳!!
まで生きました。

・・す、すさまじいとしか言いようがない。

仮にその当時の平均寿命を40歳と仮定しても、プラス47歳ですよ。今の男性の平均寿命が79歳らしいから、現代でいう126歳!!(なんか計算おかしいかな?)

なんでこんなに早雲が長生きできたのかと言うと、一つ目に、当たり前だけど健康的な生活からです。

朝は午前四時までに起きる。夜は八時前には寝る。朝は行水を怠らない。
食事も、幼少時代に寺で修行をしていたせいか、梅干などの栄養価の高いものを適量(少量)で食べる。(この生活自体がすさまじいけどね。笑)

二つ目に読書。早雲が残した家訓に「多くの本を読め」「歌道に精通しろ」といった学問に対する思いもつづられているんだって。早雲は多くの本を読んだおかげで肉体だけでなく、脳みその部分も生涯老いることはなかったらしいです。

やっぱり人間、健康的な生活が一番かぁ・・。

思うのは、今の人間の生活って間違いなく寿命を短くしてますよね。遅くまでテレビやパソコンにかじりつき、コンビニで簡単に手に入るおにぎりやお菓子をパクパク食べる。(てかボクの生活もこんなんです↓)

じゃあなんで平均寿命が長いのかと言えば、もちろんそれは医療や衛生面が格段に進歩したから。

でもそれって北条早雲が生きた時代に向かって自慢っぽく言えることなんかな、とちょっとフッと思った。


「中から健康にした北条早雲、外から健康にしたボクを含めた現代人たち。」


・・まぁとにかくどんな手段使っても、健康に生きて行きましょう。生きていりゃ、なんとかいいことありますからね。

そう思いましょう。